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Neil Hartmann

Neil Hartmann

 Falceが支援するサンディエゴ出身のフォトグラファーでありフィルマーでもある Neil Hartmann(ニール・ハートマン)の作品は重厚で、そしてユーモアに富んでいる。 
日本のスノーボードシーンおよびアウトドアカルチャーにおいて多大な貢献をしており、彼の作品である「車団地」シリーズは一つの流行語を生み出し、スキー、スノーボーダーを初めとする車泊愛好家たちの間で常用語となっている。

現在、「Honeyee」,「Trans-world Snowboarding」,「Snowstyle」、「Spray」,「OutdoorJapan」その他諸々の雑誌で彼の作品は掲載され。 そしてまた、彼自身のレーベルであるOne Films から「CAR DANCHI (車団地)」シリーズの続編を制作している。
東京ドームで開催される日産の X-Trail Jam などのテレビ司会やMCをもこなすマルチタレントである彼は、人生とても楽しんでいるクリエーターである。

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INFORMATION
www.neilhartmann.com
   
History of Neil
 1991年の冬に日本にやって来る前、僕は故郷であるカリフォルニア州のサンディエゴに住んでいた。10代の間は、大道芸人(ジャグリングとコメディアン)としてお金を稼いでいた。
その頃はほとんどの間、Jamie (ジェイミー) Adkins (アドキンズ) というパートナーがいた。僕たちは「Blunder (ブランダー) Twins (トゥインズ)(=大失敗兄弟)」と名乗り、普段は有名なバルボアパークで芸をしていた。
プライベートなパーティーや大きな集会でも芸を披露することがあった。サンディエゴ都心から湾を隔ててすぐ向かいの、有名なホテル・デル・コロナド・で、金持ちの前でジャグリングをしたのを覚えているよ。

パートナーのJamie (ジェイミー) が自身を喪失してしまったことが大方の原因で(ごめんよ、相棒)、僕は2,3年働くために日本に向かうことに決めたんだ。ひょっとしたらお金の貯め方もわかるようになるかも知れないと思ってね!
僕のパパはその時札幌に住んでいて、エンターテインメント業界で若い英語の話し手に好機があるかも知れないと言ってくれた。 どういうことか、日本の経済は急進展していて、そして僕はいつもテレビや映画に興味があった。だから僕はもしかするとその舞台で何か仕事を探せるのではないかと考えた。

長ったらしい話は割愛させていただくとして、結局僕は北海道最大のラジオ局であるAir-G’ (FM北海道)のDJのオーディションを受けたんだ。僕はそこに就職することになり、最終的には7年働いた。ラジオの仕事はすばらしい経験になった。
僕は音楽や声の使い方について沢山のこと学びながら、自分の好きなことをすることができた。それはつまり、人を楽しませるということだ。


初めてスキーを、それからスノーボードを学んだ場所が、北海道だった。10代の時に僕はパパを訪ね、パパは僕のためにルスツスキー場での短期アルバイトを見つけてくれた。無料スキーパスをもらえたおかげで、僕はスノーボードが滑れるようになった。
昔から自然とかキャンプが大好きだったから、スノーボードのおかげで冬の間もやることができた。でもまあ、この20年を振り返ってみると、あまり何も変わっていないように思えるね!

僕はスノーボードと深い恋に落ちてしまって、やめられなかったみたいだ。今はできるだけ沢山滑り、そしてほとんどの場合はカメラバッグを背負って行く。僕は今、ここ日本や世界中のプロスノーボーダーの写真とビデオを撮ることを仕事にしているんだ。
北海道―パウダースノーを求めて多くのスノーボード伝説が集まる場所だ―を拠点としていることで、僕は憧れのヒーローたちと会って一緒に滑ることができた。

これはJake (ジェイク) Burton (バートン)自身の言葉だよ!

「僕はたった今ホテルに、北半球の冬のスノーボードの初日から帰ったばかりだよ!僕は本当に幸せ者だ。
僕たちは、日本の北部にある北海道という島の、定山渓という町にいる。Neil Hartmann という、14年ここに住んでいて、今は道民であるサンディエゴ出身のボーダーが、中山峠のてっぺんにある小さなスキー場に僕を車で連れて行ってくれた。

スキー場はその日閉まっていて外も暗くなりかけていたが、僕は遠くに『蝦夷富士(=羊蹄山)』を見据えながら山を登ってみた。
叫ぶiPodとヘッドホン帽子 (Burton (バートン) 社の良い製品だ)を身に付けながらの登山はすばらしかった。

滑り降りてくるときは超現実的だった。僕たちの日本チームのボーダーの一人であるナルも一緒に登り、僕たちは30cmほどのパウダースノーの中、竹の茂みをかき分けながら滑った。

南半球の山々で一夏中(そこでは冬だが)過ごし、今までで一番多く夏のスノーボードをしたにもかかわらず、僕はどうしても冬と雪が欲しかった。
僕たちはみんな同じように感じているから、ホテルに戻った時、僕は迷わずみんなに知らせた。『冬は真っ盛りだ』とね。ここに来る前に、とても寒い所で6週間過ごしていたという事実を物ともせずにね」
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